2022年3月 吉原

2023年2月15日ライフ,観光・旅行

歴史

江戸市中は拡大しつづけ、大名の江戸屋敷も吉原に隣接するようになっていた。そのような中で、明暦2年(1656年)10月に幕府は吉原の移転を命じる。候補地は浅草寺裏の日本堤か、本所であった。吉原側はこのままの営業を嘆願したが聞き入れられず、結局、浅草寺裏の日本堤への移転に同意した。

ウィキペディア(Wikipedia)

地図

現在のグーグルマップの地図なんですが・・・ もう昔の面影は全然ありません。埋立と宅地化で全然別の物に代わっております。

昔の古地図(太田美術館)

田んぼの中に絢爛豪華な吉原はあったみたいですが、現在では日本鼓や大門など名称だけが残っているみたいです。高いマンションも立ち並んで住宅地化が進行しています。後何年かしたら風俗街もなくなってしまうかもしれない勢いです。江戸幕府も明治政府も、こう言う場所を作らないと闇に紛れ税金が取れなくなると賢かったけど、現政権と国防婦人会(現 PTA)正義の名のもとに潰す方向に向かっているみたいだね。

現在

現在は大門の道路の方は怪しい店はありませんが、少しそれた小道にははいるとそれなりに風俗店があるようです。女性ときた場合は目線とかに気を付けてください・・・ 昔のフジテレビで「たけちゃんまんの歌」で「今日は吉原、堀之内・・・」と言われた時が懐かしい感じだと思います。

大門1

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大門2(見返り柳)

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旧町名由来案内

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猫カフェ

吉原神社

鷲神社(吉原神社から歩いていける距離にあります)

番外編

天麩羅 土手の伊勢屋

下記が「土手の伊勢屋」のホームページ

歴史
吉原遊郭唯一の出入り口だった吉原大門の近くに、初代店主「若林儀三郎」が創業。当初の屋号は「伊勢屋」でしたが、店の前に「土手」があったことで「土手の伊勢屋」と呼ばれるようになりました。創業より吉原を訪れるお客様でお店は繁盛。朝は朝帰りのお客さん。昼は一般のお客さん。夜は吉原に勤めているギュウタロウ(客引き)など。夜中には吉原遊郭への出前。24時間体制でお店を運営しておりました。

土手の伊勢屋 HP
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