2022年3月 浄妙寺
歴史
1188(文治4)年、源頼朝の重臣・足利義兼(※1)により、退耕行勇を開山として創建されたと伝えます。どっしりとした屋根の本堂が風格を感じさせる鎌倉五山の第五位。
鎌倉観光公式ガイド
退耕行勇は鶴岡八幡宮の供僧で、北条政子や源実朝にも厚く敬われた高僧です。鎌倉時代に造られた
「木造退耕禅師坐像」が伝わっており、国の重要文化財に指定されています。
Wikipediaからの情報
1188年 極楽寺創建。開山は退耕行勇、開基は足利義兼
1257年 ~ 1288年ごろ:蘭渓道隆(建長寺開山)の弟子の月峰了然が住持となって禅宗の寺院 となり、「浄妙寺」に改名した。
1351年 浄妙寺境内の延福寺に足利直義が幽閉される。翌年2月26日急死。
観応の擾乱(足利尊氏・直義兄弟の戦い)


境内
正面

本殿

観応の擾乱 を読んで鎌倉に行くとしたら、足利氏の関係するお寺巡りしたいと思っていました。仕事も忙しすぎたのとコロナ騒動で行けなくなり、やっと念願かなった感じですね。鎌倉の土地は太平洋戦争の爆撃は受けませんでしたが、戦国や江戸時代に火事で焼失したりしているので、どこまで原型をとどめているかが分かりませんが・・・ 彼らと同じ風景を見ていたらいいと思うのと、彼らが今生きていたら、現在(令和時代)をどう思うか感想を知りたいですね。




ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません